Root第一章:なぜ中学生で日本語教師を目指したのか
はじめに
中学に入る直前に、ちょっとだけ前倒しで始めた英語が功を奏し、勉強が苦手だった私は、少しだけ自信を持つことができました。中学校生活は、それなりに順調に過ごせていたと思います。
その一方で、人としてはすごく自信がありませんでした。
中1の2学期、仲良くしていたある友達から、1ヶ月くらいの間、ちょっと仲間はずれのような状態になってしまったのです。心当たりは全くありませんでした。
1人で過ごすことが多かった10分の休み時間、
自分って何だろう?
友達は私のことを本当に友達だと思ってくれているのかな?
私と仲良くしてくれる子はいるんだろうか?
と不安になり、あれこれ考えることが多かったです。
親友Fさんとの出会い
そんな時に、たまたま席替えをして席が近くになり話しかけてくれたのが、後に親友となるFさん。
彼女とはすっかり意気投合。2年生になって違うクラスになっても、家の方向は少し違いましたが、部活がない日には、一緒に帰れるギリギリのところまで一緒に帰り、その分かれ道の角で「ひたすら語る」を中学卒業まで続けていた仲です。
その結果、Fさんには何でも話せるようになり、Fさんも私のことを信頼してくれて、私にとってかけがえのない存在になりました。
親友Fさんは、いわゆる日本人ではありません。台湾で生まれ育ち、彼女のお母様が日本の方と再婚することになり、小学校4年生の時に日本に来ました。
私が出会った中1の時はだいぶ日本語が上手でしたが、それでも発音などはかなり苦労していました。
元々海外に興味があった私は、Fさんに対して一種の憧れの気持ちがありました。
当時の私には、台湾というところがいかに政治的に複雑なのか全く分からず、中国との違いも知りませんでした。
そんな私にあきれることなく、彼女は10歳まで過ごした台湾の話、親戚のこと、時々台湾に帰っていること、そして中国語を教えてくれたりしました。
彼女と語り合っているうちに、大好きなFさんに何かしたい、力になりたいと思うようになっていきました。
親友の役に立ちたい思いから、将来の夢が見つかる
Fさんはいつも優しくて、私のことを大事に思ってくれて、台湾のことや中国語も教えてくれていましたが、私はFさんに何ができるんだろう?と思ったのです。
いろいろと自問する中で、
日本語なら私にも教えられる!英語のネイティブの先生がいるんだから、Fさんみたいな外国から来 た人に日本語を教える仕事ができたらいいなぁ。好きな英語も生かせるかもしれないと思ったのです。
日本語教師という夢を叶える方法を探す
当時、日本語の先生はメジャーな仕事ではありませんでした。両親や学校の先生に聞いても、どうやって日本語教師になるかよく分からないと言われました。インターネットもない時代だったので、図書館に行って調べました。ですが、どうやって日本語教師になったらいいかよく分かりませんでした。
それでも、どうしても知りたいと思って調べ続けたら、中学生用の雑誌か何かで、職業に関する解説か何かが書かれているものを見つけることができました。
それにより、何となく日本語教師になる方法が分かりました。ポイントは、次の4つでした。
・日本語の先生は、海外で仕事をすることが多い。
・大学を卒業していたほうがいい。
・大学で日本語教師の資格が取れるところがある。
・英語ができるに越したことはない。
これを知ったことで、高校は英語の勉強が充実しているところを選べばいいことが分かりました。もともと英語がたくさん学べる高校に行きたかったので、そのままその高校を目指しました。
実際、その高校に無事合格し、たくさん英語の授業を受けただけでなく、第二外国語も勉強できました。
私は、日本語教師になるという夢を、中学生の頃から数えて10年後に叶えることになります。
Fさんとは高校生、大学生になってからも時折会っていましたが、社会人になってからは、なかなか会うことができないでいました。
そんな折、共通の友人の結婚式で久しぶりにFさんに再会することができたのです。その時、私は中学生の時からの夢だった日本語教師をしていました。もっと正確に言うと、日本語教師をしながら大学院で学んでおり、ちょうど大学院のゼミで彼女の故郷である台湾に行く2か月ほど前でした。
共通の友人の結婚式のあと、Fさんが運転する車に乗せてもらい、私の家に寄ってもらいました。お茶をしながら中学時代のように話に花が咲き、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。
Fさんとの出会いで夢を見つけ、それを叶えられたことを直接報告でき、さらに台湾にも行くことを報告でき、本当に嬉しく思ったものです。
Fさんは、私にとって永遠にかけがえのない存在です。大切な友人との出会いは、人生を変えるのだなとしみじみ思っています。