2022.11.24

仲原善忠と沖縄研究と私

はじめに

 仲原善忠先生(1890-1964、以下仲原先生)は、沖縄県久米島出身の沖縄研究者で、特に琉球王国時代に編纂された歌謡集である「おもろさうし」の研究に尽力した人物として広く知られています。

 「おもろさうし」の研究をしているわけではない私が、なぜ仲原先生について研究しているか不思議に思われたかもしれません。そもそも研究の道に進んだのは、仲原先生という存在との「出会い」にほかなりませんので、説明しておきたいと思います。

職場の大先輩として出会う

 仲原先生の存在を初めて知ったのは、2010年の秋頃です。当時の勤務先・成城学園における自分の担当科目である地理教育の歴史を紐解きたいと思っていました。学園には助成研究という研究費を助成してもらって研究ができる制度があり、その応募を検討していました。

 その研究をするために下調べをしようと思って、学園内にある成城学園教育研究所に足を運び、職員さんにお話しを聞いたところ、「学園ができたばかりの地理の先生で仲原善忠先生という先生がいるよ。その人が書いた本があるから読んでみたら?」と、本をご紹介いただいたのです。


 つまり、同じ科目を担当する職場の大先輩として、仲原先生に出会ったということです。もちろん、仲原先生は1964年にご逝去されているので直接お会いしたわけではなく、時空を超えて「本」という形で出会ったのです。

 仲原先生は、戦前は成城学園はじめ主に中等教育学校で教鞭をとっていましたが、戦後は沖縄人連盟会長、琉球育英会会長などを歴任する一方で、在野の沖縄研究者として「おもろさうし」の研究に尽力されたことを知りました。多くの沖縄研究をしている、沖縄について調べている方は、沖縄研究者としての顔から入ると思いますが、私の場合は、教員としての顔から知ることになりました。

成城学園にて(2022.5.3 萩原撮影)

仲原先生を紐解くなかで博士論文の研究テーマに出会う

 それ以来、仲原先生を手がかりに、1920年代からの成城学園の地理教育についてひたすら調べていきました。その過程で、『仲原善忠全集』全四巻(沖縄タイムス社、1977・78年)に出会います。

 2011年5月のゴールデンウイークのこと。たしか1日お休みの日があり、『仲原善忠全集』をめくっていたところ、仲原先生が『琉球の歴史』上・下(琉球文教図書、1952・53年)を執筆されたことが書かれていました。そこには次のように書かれていたのです。

 沖縄の歴史に目をむけますと、真境名安興氏は、「沖縄一千年史」という本をかかれたのですが一千年ですからその内容は細かくなっています。私は偶然の機会から、中学生用の教科書「琉球の歴史・上下」(琉球文教図書株式会社一九五三年―引用ママ)を執筆しました。多分皆さんの中にはお使いくださった方もおられると思います。

仲原善忠「沖縄歴史の考え方―教科書「琉球の歴史」の理論的背景―」(仲原善忠『仲原善忠全集』第一巻、沖縄タイムス、1977年所収、180頁)。

 この記述を読み、沖縄には沖縄独自の社会科教科書(実際には副読本と判明)があったことを初めて知ったのです。沖縄でも、日本の教科書を使っていたと思い込んでいたので、沖縄独自の教科書を使っていた時期があった事実に大変衝撃を受けました。


 仲原先生の地理教育について調べることと同時に、沖縄の社会科教科書について調べ始めたところ、驚くことに沖縄ではそもそも社会科を導入するつもりがなかった事実を知ることになります。


 この時現職の教員だった上に3歳児の育児をしていた時期だったので、当初博士後期課程への進学は考えていませんでした。ですが、だれもやったことのない手つかずのテーマであれば、本腰を入れて研究する必要があります。悩んだ末、2013年4月に教員をしながら博士後期課程に進学して、沖縄の社会科成立史について研究をすることになりました。詳しくは以下の記事をご参照ください。

一通のはがきで事態が一転

 沖縄の社会科成立史研究をするうえでも、仲原先生はキーパーソンです。沖縄での調査と並行して、仲原先生の手がかりを手あたり次第探していました。例えば、旧制時代の成城学園の卒業生やご遺族・ご親戚と思われる方に可能な限りお会いして、必ず仲原先生のことを聞くように努めていました。

 すると、成城学園の卒業生であり、成城大学短期大学部(当時)名誉教授・大学女性協会第14代会長の中村道子先生にインタビューしたときに、「お嬢さんと同級生よ。まだ元気なはずだわ」と言ってくださったのです。

 そこで、その情報を基にさっそく学園の同窓会に協力していただき、仲原先生のご息女にお手紙を差し上げました。お手紙が着くころお電話させていただきましたが、残念ながらつないでいただくことはできませんでした。

 その約2か月後。勤務先に一通のはがきが届いたのです。仲原先生のお孫さんにあたる方からでした。そこには、次のような趣旨が書かれていました。

わたしは仲原善忠の孫にあたるものです。叔母(ー仲原善忠の娘)の家に見舞いに行ったときに、手紙を拝見しました。成城学園の先生からだったので、ご連絡しました。善忠が暮らしていた家で私たちは今も生活しています。良かったらうちにいらしてください。

 私はそのはがきを見て、天にも昇る気持ちでした。すぐにご連絡して、はがきをいただいた1週間後には、お宅訪問をさせていただきました。仲原先生が生前遺した研究に関する大量の資料があり、それを時間がある時に訪問して拝見させていただくことになったのです。

30回ほどお宅訪問した結果

 初めて訪問して以来、仕事の合間を見て、仲原先生のご遺族宅を訪問させていただき、資料を閲覧させていただきました。おそらくこの世にここにしか遺されていないと思われる近現代の沖縄関係資料がたくさんあることがわかりました。一度に見られないため、何度も何度も足しげく通わせていただきました。

 数年かけて30回ほど通ったある夏の日。ご遺族から、「資料をお預けますので、ぜひ沖縄研究の進展に有効に活用してください」というありがたいお言葉を頂戴したのです。

 2017年3月、法政大学沖縄文化研究所でお預かりする運びとなりました。仲原先生の資料(以下、仲原史料)が非常に貴重な発見ということで、2017年3月21日の琉球新報で報道されました。

  「沖縄研究 第一人者 仲原善忠氏の資料発見 識者「非常に貴重」」

仲原史料の活用へ

 仲原史料の活用は、沖縄近現代史研究の大きな進展に寄与するものです。そこで、仲原史料を広く公開できるように、史料整理の作業を進めています。

 2020年4月には、日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(C)「戦後沖縄学の知的連関と国際的文脈の追求:仲原善忠史料を中核とする実証的再構成」が採択の運びとなり、同史料の整理とその活用を進めているところです。同研究成果は、こちらのサイトで確認いただけます。

  

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