2023.02.13

占領下沖縄での社会科成立とその意義


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はじめに

 2021年1月に六花出版(株)より、『占領下沖縄の学校教育―沖縄の社会科成立過程にみる教育制度・教科書・教育課程ー』を刊行しました。この本は、私の博士論文「占領下沖縄における社会科成立史研究」に加筆修正をしてまとめたものです。

なぜこのテーマについて研究しようと思ったのかというと、沖縄はアメリカの直接占領下なのに、戦後教育改革の目玉の一つとされた「社会科」の設置が想定されていなかったからです。沖縄こそ社会科が真っ先に設置されてもおかしくない状況なのに、なぜなんだろうと思いました。

 その疑問をどうしても解消したいと思い、中高の教員をしながら博士課程に進学し、研究することにしました。研究をしてみて、占領下の沖縄で社会科が成立したこと自体が、占領初期の沖縄と言いますか、当時の国際情勢の「縮図」になっていると感じました。

 そこで、拙著『占領下沖縄の学校教育』の中心的なテーマでもある、占領下沖縄で社会科が成立した意義について、紹介したいと思います。

沖縄の社会科導入の要因

 戦後教育改革の目玉の一つとされた社会科ですが、日本では1947年4月、戦後の新教育制度である六・三・三制の導入に伴って設置されました。

 一方の沖縄では、アメリカの直接統治下にも関わらず、社会科の設置はまったく想定されていませんでした。戦後の沖縄では、新教育制度として初等学校8年、高等学校4年からなる八・四制が採択され、1946年4月より施行されました。

 しかし、八・四制をわずか2年で廃止し、1948年4月に六・三・三制への学制改革を実施した結果、六・三・三制の教育課程には社会科があったので、そのまま導入された結果設置されたのです。八・四制から六・三・三制への学制改革は、占領下沖縄の社会科成立の直接的な要因をみる上で欠かせない出来事なのです。

わずか2年で学制改革したのはなぜか

 八・四制の導入からわずか2年で六・三・三制への学制改革が実施された背後には、教科書事情が大きく関係していました。

 占領下開始直後、米軍政府からの指示で、沖縄独自の教科書を作成・使用して教育を行う方針から一転して、日本本土の教科書を使用する方針に変わりました。このように、経済的な事情により、日本本土と沖縄を切り離すという対沖縄教育占領政策方針が早くも破綻し、奇しくも教育制度においては「本土並み」が実現したのです。

社会科導入で変わった教育内容

 沖縄の戦後初の教育制度である八・四制では、人文科公民、歴史、地理という科目がありました。これは社会科の前史と言えるものです。その教育内容は、教育課程、ガリ版刷り教科書、教員の実践などからうかがうことができます。

 人文科公民、歴史、地理の詳細はここでは書きませんが、人文科公民と地理は、戦前・戦時下の教育課程・教科書等を基に、日本の戦後教育改革のうち入手できたものが反映された内容でした。

 人文科歴史は、沖縄の歴史を全面的に扱っており、対沖縄占領教育政策方針の一つである「沖縄の道」(注1)を色濃く反映したものでした。当時、日本の社会科教科書には沖縄の記述がなく、地図からも除外されていました。この事実を沖縄民政府は問題視し、歴史に関しては副読本を作成し、社会科の枠組みのなかで沖縄の歴史を扱うことにしたのです。

社会科成立後に刊行された歴史副読本:文教部編『沖縄歴史(文教部、1949年(推定))

沖縄における社会科成立の意義とは

 占領下沖縄の社会科成立過程や教育内容は、日本本土のそれとは大きく異なるものでした。そのような差異が生じた要因は、「「戦争」と「占領」と「復興」が重層的に存在し、同時並行的に進展して」(注2)いたからです。別の言い方をすれば、米軍の直接占領下におかれた状態で激しい戦闘が繰り広げられ、その壊滅的な被害から復興していかなければならなかったからだと思います。

 沖縄戦の惨禍から、復興のためにいち早く着手した学校教育。沖縄における戦後教育改革の一つの事象である、社会科の成立過程やその教育内容をみていくことで、占領初期の沖縄にとって最大の課題であった復興をいかに成し遂げようとしたかに迫ることができるのではないかと思っています。

収容所で大人と混じって働く子どもたち(1945年、沖縄県公文書館所蔵)

 この研究を通じて、占領下沖縄において社会科が成立した意義は何か考えてみました。現時点の自分なりの結論としては、対沖縄占領教育政策に反しない範囲で、日本本土との教育の足並みを揃えつつも、副読本を以て沖縄の歴史を扱う、すなわち「沖縄の道」を継承した点が大きかったと思っています。

 ただし、「沖縄の道」を重視した教育方針は、1950年代に入り、日本本土への復帰運動が隆盛していく中で変わります。具体的には、沖縄固有の歴史や地理を扱わないという方針です。このことの意味は、今後さらに研究を通じて明らかにしていきたいと思っています。

注1:米軍の対沖縄占領教育政策方針に基づき、とりわけガリ版刷り教科書の編纂方針において用いられた用語。沖縄の独自性を尊重し、新たな沖縄を建設していこうとする精神を意味する。

注2:屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす―記憶をいかに継承するか』世織書房、2009年、229頁。

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